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第7官界彷徨

第7官界彷徨

戦争遺跡

=浅川地下壕  タカネさんのブログより    2014年9月15日
高尾山の南東側、東高尾山稜と呼ばれる一角に、初沢山とか金比羅山と呼ばれる低山がある。この山中に、「浅川地下壕」と呼ばれる壕が3本、掘られている。
いずれも陸軍の東部軍が、本土決戦に備えて、軍需品や武器を備蓄する「倉庫」として建設を進めた「五大倉庫」の一つで、「ア倉庫」と呼ばれた。ちなみに、五大倉庫は、長野県松代、東京都浅川、大阪府高槻、愛知県小牧、福岡県山家で、前者3つの掘削はかなり進んでいた。

昨日はこの浅川地下壕3地区のうち、イ地区と呼ばれる壕の見学会に参加。
総延長4.8kmのうち、ほんの一部約1kmを説明を受けながら、1時間程歩いた。

松代に大本営移転が決定される前は、この浅川が候補地だったという説もあるが、実際は、飛行機を作っていた中島飛行機株式会社(スバルの前身)のエンジンを担当していた武蔵野製作所が移転。工作機械を330台程設置して稼動していたが、湿気の多い地下壕のため、製品は10台程に過ぎなかったという。

この地下壕は9月に掘削命令が出て、正式には11月、実際は9月から掘削が開始されていたらしい。工事の作業本部長の加藤幸夫建技少佐は松代の工事の本部長でもあり、また施工業者が鉄道建設興行株式会社と、これまた松代と同じで、壕に入っても、松代の地下壕と似ているという感じがした。
浅川も松代もイ・ロ・ハと名前が付けられ、壕の大きさも幅4〜5m、高さ3nとほぼ同じ。3本(地区)の総延長が10〜12kmと近い。

ただし、浅川の方が荒けずりで、工事の進捗度は松代の方がずっと進んでいたように思う。もっとも大本営の入る地下壕と、工作機械を設置する壕とは自ずから丁寧さが違うのかもしれないが…。
強制連行・労働させられた朝鮮人が浅川2000〜3000人、松代が6000〜7000人と随分違うのが気になった。

松代の大本営地下壕群は、いろいろ問題はあるが、まがりなりにも長野市が管理し、一般公開されている。
浅川の地下壕は関東財務局が管理し、八王子市はいまだ無関心。壕内も戦後マッシュルーム栽培が行われてその地権者などとの問題もあったりで、途中から柵で封印されていて学術調査もまだされていないようだ。入口も一般市民の住宅の玄関を横切って入るという、全くの善意に頼っているので、見学会も月に1回がやっとのことだそうだ。

松代も現在のようになるには紆余曲折があり、未だに説明板の「強制」の文字上に白テープが張られたり、資料館建設への妨害が減ったとはいえまだまだ続いている。ということを思うとき、浅川の地下壕がもっと気軽に見学できるようになるのは何時の日かと心配になってくる。

壕内の湿った空気が澱んで風化が進んでいる浅川。逆に松代は見学者が増えるにつれ、壕内の温度・湿度変化による風化が進む。どちらをとっても風化は進んで行く。ならばひとりでも多くの人に見て記憶に刻んで欲しいと思う。

案内者が、最後に「口コミでぜひ周囲に知らせてほしい。そして世論を大きくすることが、行政への一番強いアピールになるから、よろしくお願いします」で結んだ。


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